ミクログリア細胞について書かれた本だ。うつ病やアルツハイマー、自閉症、ADHD、様々な脳関係疾患や自己免疫疾患にミクログリアの過活動と、それに伴う神経炎症が関わっているのではないかという仮説を追っている。読み進めると、ネット上に転がっているこれまでの定説を推し進めた研究が紹介されていて面白い。単に僕が最近の研究に疎いだけかもしれないが…。うつ病が脳の炎症によって起きる、みたいな話は最近目にするようになってきたが、本書ではしっかりと作用を明らかに説明してくれている。
21世紀の有害なストレスに対応できるように免疫システムの増強を続けていけば、脳関連疾患も増え続ける。これはもっともである。
1 脳関連疾患はミクログリアとニューロンの相互作用によって生じる脳回路の疾患である
2 現代的な誘因との進化的ミスマッチを起こしたミクログリアはシナプスを食べたり炎症物質を吐き出すなどニューロンへの振る舞いを変える
3 ミクログリア由来の神経炎症は今日の脳回路の疾患や精神疾患の発症率の上昇に大きく寄与している
p138
脳回路の疾患、と言葉にされている。これは後ほどSSRIによるうつ病の治療批判が展開されるところでも出てくるが、セロトニンなど神経伝達物質による仮説ではなく、という意味が暗に込められていると読み取ることができる。
子供の頃に予測不能なストレスを慢性的に受けて育った人は、大人になって自己免疫疾患や心臓疾患、がんなどの体の病気になるリスクがそうでない人に比べ何倍も高い。また幼少期にストレスをたくさん経験した人は大人になってからうつ病その他の精神疾患を発症するリスクが3倍高いこともわかっている。p82
まあこれは言われればそう言われても不思議じゃないな的な感じのやつだ。
体の免疫応答が強いことと脳関連疾患を発症するリスクが高いことは直接関連していることもわかっている。体の炎症性バイオマーカーの値が高い人とうつ病、学習障害、自閉症、アルツハイマー、強迫性障害、気分障害など脳に起因する疾患を持つ人との間にはっきりとした関連があることが明らかになり始めていた。大うつ病に苦しむ患者たちはインターロイキン-6やc反応性タンパクとして知られる炎症性サイトカイン値が極めて高い。そして体内の炎症性物質の異常な上昇は精神症状より何人も先に起こる。p83
体の免疫と脳の免疫がつながっている、というこの指摘の紹介はこの本が翻訳された意義の一つで後書きでも触れられていた。そうか、ということはアトピーの自分は脳関連疾患のリスクも高いのか、と思いながら読んでいた。
ジョンズ・ホプキンス大学の研究者たちは2016年に10代の少女ではソーシャルメディアを利用する時間が長ければ長いほどうつ病や不安、気分障害を発症するリスクが高くなることを報告した。ティーンネイジャーのソーシャルメディア利用とうつ病に関する研究では、両者に相関関係があることが示されている。
これはネットニュースなんかでも転がっている。
体の炎症プロセスは脳内の興奮したミクログリア免疫細胞とやり取りしている。そのなかで双方向に伝わる神経炎症に火がつき、それが脳に霧がかかったような症状や記憶の欠落、脅迫的な心配性をあおるのだ。p267
これはコロナでも聞いた話だな、と。はてぶで調べたらこんなのがあった。
コロナ後遺症の「ブレインフォグ」 シナプスの破壊が一因か: 日本経済新聞
コロナ関係のブレインフォグにもミクログリアによるシナプスの刈り込みが指摘されている。
この本で特に目を引いたのはSSRI(セロトニン取り込み阻害薬)によるうつ病の治療や、ADHDに処方される薬の作用機序にセロトニンやドーパミンよりも先にミクログリアの作用を指摘しているところだ。これまでそういう説明を読んだことはなかった。まだ一般的ではないのかもしれないが、「朝日を浴びて、リズム運動をしてセロトニンを出そう。トリプトファンを多く含む乳製品やバナナがいい」みたいな記事も一変する可能性がある。いや、既にしているのかもしれない。
SSRIは間違いなく一世代の間、うつ病と不安の最も画期的な新治療法だった。しかしミクログリア共通病因説により抗うつ薬に対する私たちの理解は一変している。2018年4月にランセット紙及びランセットサイキアトリーに発表された論文を読むとミクログリアとうつ病の重症度、抗うつ薬治療との複雑な相互作用がよくわかる。抗うつ薬が効いた理由の一端が明らかにミクログリアの振る舞いにあることがわかったのだ。
- 抗うつ薬を飲んでいた患者は年ごとのミクログリアの活性と神経変性の悪化が飲まなかった患者に比べ顕著ではなかった。こんなふうに考えられないか。薬により過活動のミクログリアが鎮まる。新たなニューロンが増えて神経組織を形成、脳が発火し新たなシナプス結合を作りニューロン同士を繋ぐ。
- 大うつ病の1/3にはどんな抗うつ薬も効かない。効果があっても次第に効かなくなっていく。ひょっとするとミクログリアが暴走炎症モードに入ると抗うつ剤では焼け石に水なのかもしれない。
- SSRIの背後にある前提、特定の神経伝達物質がアンバランスだという考えにはミクログリアが脳の健康に果たしている役割が感情に入っていない。セロトニン、ドーパミン、アセチルコリン、GABA、アドレナリン、ノルアドレナリンなど神経物質はニューロンの受容体に結合するものでシナプスを介してメッセージがどれくらい上手く伝わるかに多いに影響している。これらの物質の濃度が変化するといずれの脳回路も適切に機能しなくなりうつ病や認知症、統合失調症、パーキンソン病、強迫性障害などの症状が出る。この考え方は神経伝達物質のアンバランスを1番の要因に捉えている。一方ミクログリア共通病因説はこう説明する。ミクログリアと脳の免疫システムがストレス、トラウマ、病気を感じ取るか、腸内細菌叢のアンバランスで発せられた炎症シグナルを受け取るかすると、ミクログリアが脳の救済者からシナプス殺害者へ変身し、有害なサイトカインを放出する。それにより神経伝達物質と成長因子の利用可能量が変化し、ニューロン間のシグナルの伝わりやすさが変わる。脳の物質合成能力が減退すると気分や睡眠スタミナ集中認知などを損なう神経障害が引き起こされる。一方幸せをもたらすミクログリアはニューロンのシナプスを育み支えて神経伝達物質を補給して健康なレベルに維持する。精神疾患は第一に免疫の疾患であり脳内の基本的な免疫の健康状態の変化を反映する。物質のアンバランスは問題の原因ではなく症状なのだ。
- そういうわけで、気分障害と認知障害はもはや神経伝達物質の障害だと見るべきではなく、ミクログリアと免疫システムの病気、ミクログリオパシー(ミクログリアの病)と見るべきだと多くの科学者が提唱している。研究者たちは抗うつ薬2.0というべき新型の抗うつ剤を開発しようとしている。ミクログリアの活性を下げようとしている。
とまあ、こんな具合である。個人的にはここがこの本のハイライトで、じゃあどうやったらミクログリアを天使の状態にしておけるのか、というと、経頭蓋磁気刺激療法、ニューロフィードバック療法、疑似絶食療法の3つが紹介されている。一番わかりやすいのは最後の絶食で、これはオートファジーの活性化なんかと同じ。飢餓状態に身体を置くのが良いらしい。ちなみに天使と刺客、は、健康にミクログリアが働いているときにはニューロンやシナプスの再生、新生を促す。一方、暴走するとシナプスを刈り込んでしまう。これが「天使と刺客」に込められた本書の意味だろう。
体と脳の免疫システムは連携して機能している。精神疾患患者には体内の高い炎症バイオメーカーと脳内の異常なミクログリアの活性の両方がしばしば認められる。トラウマであれ感染症であれ継続して存在すれば脳内の炎症性サイトカインがミクログリアを活性化させて神経伝達物質のアンバランスと神経炎症の暴走を引き起こす。
科学者たちが提唱している体と神経の炎症に同時に対処するための最新かつこれ以上なくシンプルな脳ハッキング法を紹介しよう。それは疑似絶食法だ。p268
「細菌その他の微生物を飢餓状態にすると、あらゆる厄介ごとを始末できることがずいぶん前からわかっていました」p270
「断続的に飢餓を経験している間は、普通の人々でも長寿遺伝子が活性化されて、肝臓だけでなく体の免疫システム全体の損傷も回復が促されるのではないか」p270
自己免疫疾患のあるマウスのグループを週3日、3週間にわたって疑似絶食状態に置いた。これらのマウスでは炎症の原因となるサイトカインの著しい減少がみられた。さらに驚いたことにはミエリンの再生が促進されたのだ。疑似絶食下の動物では体内の炎症性マクロファージも脳内の炎症性ミクログリアも著しく減少する。
安全で管理された絶食している人では免疫システムを含め体のあらゆるものが縮小します。燃料が切れたと思わせることで免疫システムは機能を縮小し、元気を回復し再起動します。
疑似絶食ダイエット。普通の栄養の食事を週に5日とり、2日は500〜600カロリーに制限した食事を1日に一度だけ取る。時間限定絶食は16時間は何も食べない。
脳と体がリンパによって繋がっていてメッセージのやり取りがされているということがわかったのが最近だ、みたいな雰囲気で腸内細菌叢にも触れられて脳腸相関という言葉も出てきていた。脳腸相関に関しては「腸と脳」という良い本がある。まあ、読んだ感想としてはここでも絶食か、免疫が絡むと身体を飢餓状態に置くことが大事なんやな、と難しいことは抜きにして実生活の中で落とし込める行動としては断食となりそうだ。