山口周『ビジネスの未来』を読んだ

 山口周さんの本を読むのは初めて。どんな本かと思ったら、広井良典さんの書いていることと似ていたのでびっくりした。もっと自己啓発寄りの資本主義の中で生き抜く系の本かと思っていたら、全然違った。

終わらせよう
  • 世界は大多数の人にとって便利で安全で快適に暮らせる場所になったが、まだまだ真に豊かで生きるに値する社会にはなっていない。古いゲームが終わり、新しいゲームが始まる。「物質的貧困を社会から無くす」というビジネスの使命はほぼ達成された。我々は今高原にいる。

 この高原という言葉は広井さんで言う定常社会だろう。あまりに考え方が似ているなと思ったけれど、本書で広井さんの本が参考文献に挙げられていて腑に落ちた。

  • 「日本の再生」「日本の再興」は「かつての国威を取り戻したい」という国家主義的ノスタルジーが横たわっている。これも「経済的覇権で国の序列は決まる」という古臭い価値観に縛られたアナクロニズムでしかないように思われる。失われた○十年の失われたものが経済一等国というプライドなら、回復させたところでなにになるのか。既に松下幸之助水道哲学は達成されたのだ。
  • ニーチェの予言。近代社会は意味の喪失に陥る。意味 を喪失した人々はニヒリズムに陥る。ニヒリズムとは、「何のために?という問いに答えられない状態」
  • GDP指標の恣意性。物質生産の指標、アメリカに覇権をもたらしたモノサシ。日本はこれからも小さな米国を目指すのか?無形資産をGDPに組み入れるのも延命措置。世界の経済成長は1950〜1990がピークで下降曲線。ピケティ「過去二世紀の歴史を見る限り1.5%以上になる可能性は低い」
「成長」は一種の宗教である
  • 認知的不協和の提唱者レオン・フェスティンガー「自分の信念の事実が食い違うとき、人は信念を改めるよりも事実の解釈を変えることで信念を守ろうとする」
  • 世界人口の増加率は1960年代がピーク。近年は1%台。世界経済の成長率とほぼ同じ曲線を描く。人口は増えるが増加率は低い。「高原状態への軟着陸が求められる」
  • 枢軸の時代
文明化前の時代 前期文明化の時代 後期文明化よ時代 文明化後(高原)の時代
BC5〜 17c〜 20c〜
BC5に枢軸の時代 17cに啓蒙や時代
長い近代の始まり いわゆる近代
  • 枢軸の時代:ヤスパースがBC5世紀を挟んだ前後の300年くらいの思想史文明史上の転換点を名づけたもの。古代ギリシアの哲学、仏教、等々。
  • 枢軸の時代に今の私たちの精神の基底をなすものは出揃っていた
  • 上昇カーブはさまざまな側面でその勾配をなだらか「ひつつあり、以降は定常状態を前提とする「高原状態」に移行して「無限に続く幸福ないま」が循環する時代がやってくるのではないか、というのが私の仮説です。これが人類が向き合うことになる「二つ目の変曲点」です。
  • BC5世紀の「一つ目の変曲点」を通過してから2,500年ぶりに新しいモードに切り替える時期が来ている。私たちが今生きているのは「文明化の終焉の時代」だということになる。
資本の価値と時間の価値
  • 先進国の金利はゼロに近い。
  • 利子とは、信用または資本の価格として支払われるもの。利子とは資本の価格、これがほぼゼロということは、資本に価値がなくなったということ。
  • 我々の世界は「時間によって資本の価値が増殖する」ことを前提に構築されている
  • 利子=資本の価値がゼロになったから時間の価値もゼロになった。いや、時間に価値が無くなったから金利の価値も下がっているとかんがえるべきでしょう。時間を経ることで成長拡大する期待が持てなくなったから。
  • 我々は「今頑張っていればいずれ良い未来がやってくる」型の物語がなければ生きていけない(多くの宗教も、今を手段化する)。この思考の型は、「明日は今日よりも良くなる」信仰により合理化される。しかし、歴史が終焉し時間が消滅しているなら、「今を手段化せよ」という社会規範や価値観には、人々は空虚感を覚えるだろう。
  • シュワブは資本主義から才能主義へ、という。個性。
  • 先進国に住む我々は、これから「無限の成長拡大上昇を求める圧力」が減圧されていく新しい時代を生きる。これまで依拠してきた規範が次々と瓦解していく様を目にするだろう。
  • 経済以外のなにを成長させれば良いかわからないという社会構想力の乏しさ、経済成長しない状態を豊かに生きることができない私たちの心の貧しさが問題なのだ。
便利で快適な世界を、生きるに値する世界へ変えていけ
  • 経済に根ざして動く社会から人間に根ざして動く社会へ
  • 文明と自然、未来といま、成長と人間
目指す方向 目指さない方向
大きな北欧型社会民主主義イノベーションによる社会課題解決、企業活動による文化的価値の創造 小さなアメリカ型市場原理主義社会、経済成長の追求、大量消費の促進
  • 「成長の無意味化」という局面を迎えている。しかし、イノベーションによって経済成長の限界は打破できる、マーケティングによって需要の飽和は延命できる、という反論がある。多くの人がそう考えている。
世界と生活を激変させたインターネット関連イノベーションですから経済成長の限界を打破できていない。
  • バナジー、デュフロ。先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいつさい存在しない(絶望を希望に変える経済学)
  • ここ20年で社会に実装されたイノベーションの多くは、既存の儲かっている市場にイノベーションを導入することでごく一部の人がさらに儲かる市場に変えただけで、社会が抱える未解決の問題の解消には必ずしも貢献しておらず、むしろ格差の拡大という社会問題を生み出す元凶になっている。GAFAが存在感を示し始めた2000年代以降も経済成長率の低下には歯止めがかかっていない。全体のパイは増えていない。
  • イノベーションが格差を拡大する。富の移転しか起こさない。
  • GAFAMの売上は既存のメディアの売上を奪っただけで、GDPの観点からは全体のパイを広げることに貢献していない。人と人とのつながりなどの効用を加味していないではないか?との反論には、ソーシャルメディアを遮断した場合幸福度や生活満足度が向上した、というデータを示す。
市場は経済合理性限界曲線の内側の問題しか解決できない。
  • 困っている人は少ないが、解決にお金がかかる問題。困っている人は多いが、コストを回収できない。これらは未着手。資本主義社会は金銭的報酬がモチベーションだが、残存する希少だが解決の難しい問題に取り組むモチベーションは人間性に根ざしたものにならざるを得ない。サン=テグジュペリの人間の条件。
  • 飽和する需要を延命させようとすれば、必ず道徳的に微妙な領域に踏み込まざるを得ない。ヴィクター・パパネック『生きのびるためのデザイン』
  • マンデヴィルの蜂の寓話。個人の欲望こそ社会の厚生を進める。
  • ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』資本主義を生み出したのは贅沢、贅沢を推進したのは恋愛。かなり極端な議論をしている。奢侈を二つに分けて考察。
壮麗な聖堂を黄金で飾って神に捧げる 自分のためにシルクのシャツをオーダー
近代経済を牽引したのはこっち
開かれた目的。高い次元の悦びを与えてくれる。バタイユのいう「至高性」 閉じた目的
  • 消費には必要と奢侈しかないのか?本当か?
  • 他者性と時間軸。
  • シエナの大聖堂。14世紀。資源生産性の高さ。至高性に根ざした生産と消費のあり方は必要と奢侈のいずれでもない。至高性の欲求はヒューマニティに根ざす。実生活で必要でもなく、奢侈に接続されるかと言われればまた違う。至高性を核において展開される生産と消費がこれからの社会において大きな鍵を握る。至高性は人間性に根ざした衝動。何か崇高なものに人生を捧げたい、懐かしい人と酒を飲み交わしたい、みたいな衝動。ゾンバルトやヴェブレンの指摘にもケインズの指摘にも含まれてない。人生を生きるに値するものに変えてくれる重要な欲求。実生活で必要ではないが。。
  • ヴェブレン。他者への誇示のための奢侈。
  • ケインズも消費を二つに分けてる。

1.他人に関係なく必要な絶対的ニーズ
2.他人に優越するために必要な相対的ニーズ
1は近いうち解決するが2は限りがない。

  • 必要と奢侈は功利的。
  • 人間性に根ざした衝動に駆動される消費には手段的・功利的側面がない。時間の消失が読み取れる。
  • 人間性に根ざした衝動によって駆動される経済活動のあり方をポジティブに表現する言葉を私たちの文化は持っていない。概念が欠損している。刹那、享楽、快楽のようなネガティブな内容を含む概念ではない。コンサマトリーというパーソンズの言葉を使って概念化しよう。
  • 必要と奢侈はインストラメンタル、功利的で手段的。
インストラメンタル コンサマトリー
中長期的、手段はコスト、手段と目的が別、利得が外在的、合理的 循環的、手段自体が利得、手段と目的が融合、利得が内在的、直感的
未来のために今を手段化する 今この瞬間の愉悦と充足を追求して生きる
  • 人間を人間たらしめる衝動的欲求の多くが未達であり、その未達に多くの人が無自覚でもある。ここにこれまでの経済とは異なる位相の広大な市場が潜在的に存在する。この欲求の充足こそ、経済と人間性、エコノミーとヒューマニティーの両立を可能にするのではないか。
コンサマトリー経済
  • 必要なものだけを買う淋しい商品でもなく、他者優越のための奢侈でもない、人間的な衝動に基づく。既にムーアが主張。
  • 交友から得られる喜びや美しいものを見たときに感じる悦楽などの「ある種のこころの状態」にどれだけ多くの人が至っているか、が社会の進歩を図る唯一の指標になる。(いま我々はGDP以外の指標を持たない)文明技術により牽引される経済から文化ヒューマニティーに牽引される経済への転換。ヒューマニティーとエコノミーが一体化した社会。
  • 便利さより豊かさ
  • 機能より情緒
  • 効率よりロマン
  • デイヴィッド・ストロー。何か複雑な問題を解決しようとするとき、まず必要なのは自分がその問題を引き起こすシステムの一部なのだと認識すること。いかなる問題でも個々のプレイヤーがどのようにシステムに関わり、無意識に意図せざる問題の発生に関わっているか意識せずしてシステムが改善することはない。
  • 現在の社会システムには問題がある。これをゲームと受け入れて利益を増やすオールドタイプが拡大再生産をしている。どんなシステムをリプレイスすれば問題が解決するのか、ではなく、自身の思考や行動の様式をどう変えるか、という問いの方が問題だ、大事だ。
  • ボイス、社会彫刻。ビジネスアズアート。
  • 我々には二つしか残っていない。経済合理性限界曲線の外側にある未解決問題の解決、つまり社会的課題の解決、ソーシャルイノベーション。もう一つは文化的価値の創出、生きるに値する社会にするモノコトを生み出すこと。
  • コンサマトリーな状態とはチクセントミハイのフロー状態のこと
  • 最高度の創造性を発揮しているときに身体的な快楽を感じるような生理的プログラムが我々にはインストールされているのかもしれない
  • 仕事に前向きに取り組んでいる人は全体の10%もいない
  • つまらない状況からすぐ逃れたい、という衝動が引き起こす行動は厳しいペナルティとなる。だから「幸福感受性」が摩耗してしまう。幸福感受性の回路をカットして規範に従順なロボットになることで利得が最大化されることを学ぶ。しかし、この幸福感受性を回復できないとコンサマトリーな状態の回復は望めない。
  • 日本は成功者のモデルイメージの多様性がない。成功概念の幅が狭い。
  • インストラメンタルな規範が無垢でコンサマトリーな衝動を駆逐する
  • ニーチェ。我々の精神はラクダ、獅子、小児の順に発展する。インストラメンタルな規範に無批判に従うラクダ。自由を求めて戦い、獅子となる。獅子はラクダ時代の支配者である竜と戦う。龍の名前は「汝なすべし」。汝なすべしvs我は欲す。
消費や購買から贈与や応援に近い活動へ
  • オルテガ。大衆とは、思いがけず贈与されてしまったことへの後ろめたさを感じなくなってしまった者のことを言う。我々の存在は、死者と自然からの贈与である。
  • これからは労働と創造が一体化していく。
  • 面倒な仕事が全部機械化されると、人間には創造と遊びしかなくなる。しかし創造と遊びは、役に立つという価値と比較して「意味がある」価値となる。こっちは価値のバラツキが大きいため所得格差は広がる。
  • 社会は意識的に構想を描かないと惰性と慣性で延長線上を走り続けてしまう
  • 高負担高福祉の社会への転換が必要。税率が高くなるとクソ仕事も減り、政治へのコミットメントも高まるのでは。
  • 「複雑なシステム」とは「問題を生み出すシステムが開放系になっており、現象として目に見える範囲以上に広範囲かつ多様な因果関係によって引き起こされている問題」。ピーターセンゲはこのような複雑なシステムによって引き起こされる問題には「全体を部分にわけて悪いところを直す」要素還元主義的な方法論、いわゆる論理思考は機能しないので、全体を統合的に捉える「システム思考」のアプローチが必要だと言っている。教育は教育の外にまで問題が広がっているので、その要因に対処しないと解決はおぼつかない。
  • 本音では誰も個性的な人など求めていない(就活について)