『21世紀の道徳』『土と内臓』を読んだ

ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳』とモントゴメリー『土と内臓』を読んだ。一見関連のなさそうに思える本だけれど、前者は進化論的な議論を踏まえて我々の考え方をアプデしていこうというもの、後者は植物の根と我々の腸が同じ構造を持ち、微生物との共生関係を進化の基礎に位置付け、そこから現代人の疾患などを捉えていこうとするものだった。

 前者の本にはピーター・シンガー、ジョシュア・グリーン、ジョナサン・ハイトなどの著作が引用されている。一方、後者ではダーウィニズム批判をしたリン・マーギュリスリン・マーギュリス - Wikipedia有機農業の先駆けとなる研究を行ったアルバート・ハワード有機農業の創始者、アルバート・ハワードの業績などが引用される。どちらが、というわけではなく、どちらの見方も世界の眺め方をアップデートしてくれるものだ。
 『21世紀の道徳』で論じられている物事や、その論旨は至極まっとうなバランスの取れたものに感じられた。人文学を学ぶことには意味がある、仕事は大切、道徳的な判断をするためには共感だけでなく理性を働かせた論理的な推論が必要、と至極当たり前と言われれば当たり前のように聞こえる。人文学、動物倫理、功利主義、幸福というトピックを扱う。いくつか覚えておきたいと思ったところは

  • ダーウィニアン・レフトについて

マルクスからダーウィン
ピーターシンガーは「すべての不平等が、差別や偏見、抑圧や社会条件に原因があると決めてかかるべきではない」ということをダーウィニアン・レフトの心構えのひとつとして示している。経済の不平等や性別間の不平等についても、その問題の社会的な原因と生物学的な原因の両方について正確に理解したうえで適切な処置をとるべきであるp36

ジョシュア・グリーン『モラル・トライブズ』
  • 道徳に関する人間の心理には欠点や限界があるからこそ、道徳に関する理論は、心理的な反応に左右されない理性的なものでなければならない
  • 道徳や規範に関する慣習や制度は、元々は「共有地の悲劇」を回避するために進化してきた。…個人は自分の利益を追求することをやめて、協力することを選択しなければならない
  • 道徳感情を「オートモードの道徳」、感情ではなく理性に基づいた「マニュアルモードの道徳」に分ける(ダニエル・カーネマンのファスト&スローの議論が下敷きになっている)
  • ポール・スロヴィックを代表とする心理学者たちの実験により、ある人が救済の対象を決める判断を行う際には「特定可能な被害者効果」と呼ばれるバイアスかはたらくことが明らかになっている。p139
  • 統計的・数学的な情報を伝えられるより、特定の個人の物語が伝えられた方がより多くの寄付が集まる。対象が一人でなく二人になると、物語的な情報を伝えたとしても寄付額は少なくなる。これにはジョシュア・グリーンが論じた道徳の二重過程が関わっている。われわれはオートモードで判断してしまう。
  • 効果的な利他主義。オートモードの道徳感情を排した利他主義の実践。収穫逓減の法則に従い、最貧困層への救済を優先する。ビルゲイツやウォーレンバフェットが実践している。2010年代から活発になってきた。支援団体に寄付しない理由がない、とする。コロナ後では、最大で7億人が絶対的貧困に陥ると世界銀行はが示している。
  • 特定可能な被害者効果。「弱者を救済しようとしたときに感情に基づいた判断をしてしまうと、救済の対象が不公平で不合理なかたちで選ばれてしまう」
  • 身内びいき。身内びいきも、進化の中で身につけてきた道徳感情である。
  • ウィリアム・マッカスキル「効果的な利他主義宣言」
  • アーヴァイン。「生物学的インセンティブ・システム」という表現を使いながら、欲求のメカニズムを説明する。快感は報酬、不快感は罰として行動に影響を与える。この生物学的インセンティブシステムは生存と繁殖のみのために発達してきたのであり、個人の幸福を考慮して設計されたものではない。糖分、塩分、脂質の多い食事、セックスや恋愛への欲求…。
  • しかし、インセンティブシステムは報酬と罰で私たちの行動をコントロールしようとするが、わたしたちの側も、そのコントロールに従うか否かを選択する能力は与えられている。生き方や考え方の戦略を練ることができること、これをアーヴァインは進化という奴隷主に対して奴隷である私たちが反乱を起こすことに例えているp277
  • アーヴァインは理性を駆使して欲求をコントロールする実践的なライフハックとしてストア哲学を現代に復活させた。
  • ネガティブ・ビジュアライゼーション。欲求を抑えるテクニックの基本。人生がいまよりもつらいものになることや、自分が築いてきた地位や財産が失われること、恋人や配偶者や子などの大切な人々が亡くなってしまうことを想像する、という行為である。マーケティングの世界でのアンカリング効果を活用したテクニック。
  • フレーミング効果。発生する感情が自分に与える影響を理性によって戦略的にコントロールする。インセンティブシステムへの反乱を行う強力な武器。

ポジティブ心理学は幸福に生きている人たちを理想として、幸福に生きられている理由が分析される。これが徳倫理的。徳を持っている人の振る舞いや生き方を見聞することで秘訣を学ぼうとするから。

  • ユーダイモニアは幸福とか人類の繁栄とか訳される。ポジティブ心理学でも古代ギリシアでも、ユーダイモニアに基づいた幸福論は快楽主義の幸福論と対置されてきた。快楽主義は、良い気分の最大化、良くない気分の最小化。

ユーダイモニアの幸福論では、人生が幸福であるかは、自分の人生に向き合う態度、人生における目標、それらに関連する活動などが関わってくる。美食や酒とせっくすに明け暮れている人は、快楽は多いかもしれないがそれだけで幸福だとは言えない。
古代ギリシアではユーダイモニアがどう論じられてきたか?

  • わたしが思うに、人々がヘドニズムの幸福論に魅力を感じる最大の理由は、それによって幸福の定義を「引き下げ」ることができるからだ。p317
  • 幸福な人生を過ごすには、自分のライフストーリーやパーソナリティを考慮したうえで人生ににおける目標を定めて、自分の「徳」や「強み」を発揮しながら積極的に活動することが不可欠である、というのがユーダイモニア論の要点である。p340
  • 人間の生物学的な特徴や遺伝のメカニズムに関する理解が広く普及するたびに、「人間のおこなう行動や思考は、生物学や進化論によってすべて説明することができる」と考えてしまう人があらわれる。だが、生物学的な研究は、これまでに見逃されてきたような人間と他の動物たちとの共通点を発見するとともに、他の動物から人間を隔させる一線をより明瞭に描き出していることも見逃してはいけないのだ。p368

土と内臓

土と内臓では、概ね『腸と脳』で触れられていた内容と重なる。リンネ、レーウェンフック、パスツールの業績やウイルスについても触れられるが、日々の生活に落とし込める部分としては

変える必要があるのは、カフェイン、アルコール、精白した炭水化物と糖分を毎日摂る習慣だけだ。私は新しい勅令をデイブに伝え、野菜と豆と果物を食べる量を増やし、精白した穀類と肉と乳製品を減らすことを高らかに布告した。p152

だろうか。いくつかメモ程度に引用する。

  • 文化は、それが商店主であれ科学者であれ人がどのような疑問を抱き、見たものをどのように解釈するかを決定する。
  • 1967年、15の学術誌に没にされたあと、マーギュリスの急進的な発想-微生物間の共生関係を多細胞生物の基礎とするもの-はジャーナルオブセオレティカルバイオロジーに掲載された。
  • ウイルスは細菌が初期地球の強烈な放射線に晒され、生命を定義する特徴-自分自身を収納する細胞壁や、食べて排泄することなど-を失ってできた欠陥品だと考える生物学者もいる。ウイルスは基本的要素以外をすべて失って、宿主細胞の中で行きて複製するしかない野放しのゾンビDNAや RNAの塊にすぎなくなった。ウイルスがどのように発生したかにはまだきわめて異論が多いが、私たちの知る限り、それは決して些細な問題ではない。p71
  • 顕微鏡下の世界がこれほどまでに協力的な場所だとは-また、証拠の幾らかはまさにわれわれの体内に隠されていようとは-ダーウィンは想像もしなかっただろう。私たちは、遺伝子の1/3以上を細菌、古細菌、ウイルスから受け継いだのだ。微生物の共生がありふれたものであり、不可欠なものであることを認識することは、自分と自然の隠れた半分との関係の見方を作り直すことだ。
  • 変える必要があるのは、カフェイン、アルコール、精白した炭水化物と糖分を毎日摂る習慣だけだ。私は新しい勅令をデイブに伝え、野菜と豆と果物を食べる量を増やし、精白した穀類と肉と乳製品を減らすことを高らかに布告した。p152
  • 実際、腸内細菌バランス異常は、数々の病気の主な原因として、現在研究されているところだ。そうした病気には、肥満、ある種のがん、喘息、アレルギー、自閉症、循環器疾患、一型および二型糖尿病、うつ、多発性硬化症などとともに腸管壁浸漏症候群や炎症性腸疾患が含まれている。