村上春樹とか

村上春樹

 久しぶりに小説を読まなきゃな、と思って本屋の中をしばらく巡っていて、読む本が決まらない、ということを2、3日繰り返していた。森見登美彦もいいかな、と思ったけれど、結局まだ読んでいなかった村上春樹の多崎つくるの本にした。
 村上春樹は文章がうまい、というのもあるけれど、それ以上に物語の構造をよく理解していて、人間の心を開くための機序というかルールをよくわかった上で物語を成立させている作家、という風に最近は理解している。人間の心にはある順番でしか入っていけない領域があり、普段生活しているだけではアクセスできない場所がある。それを、物語という構造を使って、一つ一つ順番に読者が自分で扉を開けていくことができるように構造化している。順番を間違えてもだめ、鍵を間違えてもだめ、ある正しい順番で、正しい鍵を使うことで、一つずつ開けていくことができる扉。

陰謀論

 陰謀論と言われるものも結局のところひとつの物語で、それは自分がいま生きている世界を成立させている物語と等価なものとして相対化することができる。物語だから、どんなに論駁しようとも、否定し切ることはできず、「流石にそれはおかしくない?」としか言えない。じゃあその中で、陰謀論といわれるものに堕ちるか堕ちないかを隔てる差はなにか?と問われると、どれだけ豊かな物語世界をくぐり抜けてきた経験があるかだ、というのが自分の持論。だから文学の問題で、「流石にその物語はフィクションとしておかしくない?」と思えるか思えないかだと思っている。