シューマン

 シューマンについて。
 シューマンの幻想曲op.17に取り組みはじめて、もう半年以上になる。その中で最近感じたこととして、対象との距離が近いというものがあった。音が表すものと、音によって表されるものの距離。観念と実在のことかもしれない。言語でいうところの、言葉と対象との距離。そうしたものが、シューマンの音楽ではとても近く感じられる。昨年弾いたショパンでは、もっと遠くにあったものが、シューマンではとても近い。シューマン自身、ドイツロマン派の文学や、文学運動に近いところにいたのだから、そういうロマン派のテーゼみたいなものには触れていたのだろう。ロマン派の文学が成し遂げようとしたこと(観念と実在の融解、かもしれない)を音楽によって成そうとしているように思う。
 反省(reflection)、とロマン派ではよく言われる。自己のうちにおいてなされる反省。それが演奏にどう関わるのか?イマイチ自分にはわからないけれど。しかし、言い表すものがすなわち言い表されるものだとしたら、それはどういうことなのだろうか?対象との距離の消失。何かのパッセージが、なんらかの情景やなんらかの比喩として成立することの拒否、比喩の拒否だろうか?「〜のような」という表され方の拒絶。

 改めてベートーヴェンソナタを思い出すと、韻律のしっかりとした定型詩のような印象を受ける。それに比べたら随分と散文的だ。