引き続き、シューマン

 ファンタジーの本番まで半年あるので、シューマンについては練習と並行していろいろ調べていきたいし、どこかでまとまった分量の文章も書きたい気持ちがある。ロマン派のこと、曲のこと、この曲から感じること、とても危ない曲であること、病跡学のこと、ベートーヴェンショパンとの違い。大人になってからロマン派と言われる曲にピアノで取り組むのはほとんど初めてだし、オーケストラ曲で取り組んでいただけでは全然わからなかったこと、古典派とロマン派の違いもその一つだけれども、日々、色んなことを感じて発見している。まとめて、まとまった量の文章で残しておきたい。


 今日は練習はせずにお休みした。やはり変な引力を持って精神的に変な場所へと連れていかれるので休憩は必要で、二楽章であってもそういう部分があるなとこの1週間で感じた。1,2楽章に関して言えばさらいはあと少しというところまできているし、3月中に3楽章の最後まで見ることはできるだろうし、やらないといけない。そうしたら、4,5月で深めることができたら、あとは試演会を挟んで6,7月がある。技術的にどうしても弾けない箇所はないし、音を並べるだけなら問題なくできそうだ。あとは細部だが、今回もネットで検索したら出てくる難易度ランク的なものはあてにならないなという感想を一段と深めることになった。曲の難易度はそうそう比較できるものでもない。


この引力を、ラカン対象aやリアルと交えて語ることができるのだろう。どこか不気味で、普通ではないところがある。見逃してしまえばまったく気づかないような違いで、変なところがある。音楽として、とても美しく感動的でありながら、どこか人間の認知に亀裂を走らせ、この世の終わり、認知の隙間からのぞく虚無を覗かせるような、おぞましい世界へとの連絡橋への扉が隠されている。それはロベルトの場合、恋愛によるトラブルから見てしまった世界かもしれないし、他の親交のあった作家の作品などから得た着想、見た世界かもしれない。でも、なんとなく恋愛のトラブルから行き着いてしまった世界から着想を得て、筆を走らせずにはいられなかった曲だったのだろう(し、そうであってほしい)。音楽の言語を喋りながらも、どこか不調である音楽。日本語の会話で例えれば、通常の会話は成り立っているけれども、どこか文法的におかしいところがあるというか、会話の受け答えにどこかプログラムのバグがあり一部に不自然なところがある感じ、だろうか。