練習について

 ここのところ、少し練習する習慣が戻ってきて安堵している。毎日数時間だけ(といえどほとんどは1〜2時間だ)言葉のない世界に移動して、また戻ってくる。今では日常の一部になってしまったけれど、習慣づけようとしていた頃には大きな変化に驚いたものだった。ある一定の時間、言葉から離れた状態を過ごすことになるからだ。あるいは、言葉でないもので思考をする時間を過ごすことになる。感覚的には瞑想をしている状態に近いのかもしれない。今時の言葉で言うとマインドフルネスだろうか。指を動かしながら別のことを考えていることに気づいて、また練習に集中する、というようなことが結構ある。読書も文字を追っているし、仕事でも文字を扱わない日はないから、このロゴスの世界から少し離れることが出来る時間はとても不思議な感覚であった。それが日々の気持ちにゆとりをもたらしてくれていることを感じ取れた。

 シューマンは少しずつ弾けるようになってきた。まだ形を取らないよく見えない雲の塊のような状態であるけれど、それもだんだんと形に見えるようになりつつある。もう少し練習が進んで輪郭がはっきりしてきたとき、この曲は力を放つようになるのだろうなと思う。そのときは注意しなければならない。これはとても恐ろしい曲だから。

 いまでは音楽も観劇もエンターテイメントとして(気晴らしや余暇として)楽しまれているけれど、昔の人はその言葉ではない論理で動く、人々を勇気付けたり力を与えるものの怖さをよく理解していたのだろう。だからこそ政治では弾圧の対象となり管理される対象でもあった。個人の文脈では恋心もそのうちの一つだと思う、恋心も心を乗っ取ろうとするから。でも、音楽も心を乗っ取る(観劇には人を扇動する力もある)。あるとき、ある人にとって、心の鍵穴に合致するタイミングで、その曲に出会ってしまったら、という偶然が重なったらではあるのだが。

 この曲にはフリードリヒ・シュレーゲルの詩が掲げられているが、もう少し勉強してみたい気持ちがある。ドイツ文学専攻だったけれどもこのあたりの文化史はあまり詳しくないし、ドイツ・ロマン派というものについても同様で、あまりこれといった心象を持たずに卒業をしてしまった。カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの有名な絵があるが(これは知っている)、学部生の頃、たしか教授(偉い人だった)がドイツロマン派と言ったらこの絵だ、と言っていたことだけは覚えている。こんなものがドイツロマン派を代表する名画なのか、ちょっと怖いし線が細くて宗教っぽさもあるし、なぜこんな絵がドイツロマン派の代表なんだ、と思ったような気もする。現物を見ると、恐れおののくような気もするが。
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