『21世紀の楕円幻想論』レビュー

 平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』を読んだ。

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学

  • 作者:平川克美
  • 発売日: 2018/01/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 その日暮らしの哲学、と副題が付いている通り、この本は無一文になった著者が日夜コンビニバイトや土建業の日雇いバイト、警備の仕事を転々としながらなんとか食いつないでいった体験から、"その日暮らし"をいかに面白おかしく豊かに生きるか、今後確実に右肩下がりで縮小して行かざるを得ない日本で誰もが"その日暮らし"に陥ってもおかしくない時代を照らし出す本、では全くない。
 そういう本ではなくて、だな。
 この「その日暮らし」とは、この本の中では托鉢思想も出てくるし、文字通りの"その日暮らし"という文脈で語られる章もあるけれど、Living for todayという一つの思想と解しても良いのではないかと。これはもう一度最後に触れようと思います。
 さて、このサイトをいったいどんな人たちが見てくれているのか全く見当がつかないけれど、一読した感想として、「これは白井聡さんの「武器としての資本論」くらいの必読書だ!」という感想を持ちました。すごい本でした。
 ざっくり整理すると、新自由主義グローバリズム批判の書、つまり広く捉えると近代批判の書と言えるかもしれない。でも、こういう整理の仕方ではこの本の魅力を捉え損ねてしまうし、厳密な意味では著者は新自由主義グローバル資本主義に対して否を突きつけるわけではなく、むしろそうした二項対立モデルでの思考から逃れるような思考を提示する。それこそがタイトルに示されている"楕円幻想"です。
 ちょっと長くなるけど引用します。

 ここで、花田清輝が言っているのは、世の中には様々な見方があるということではありません。これを、文化相対主義的な視点や多様性といった言葉で説明したら、ありきたりなことを言っているに過ぎないということになります。そんなのは、面白くありません。
 花田が言っていることの意味は、相反するかに見える二項、これまでわたしが言及してきた言葉で言えば、「縁」と「無縁」、田舎と都会、敬虔と猥雑、死と生、あるいは権威主義と民主主義という二項は、同じ一つのことの、異なる現れであり、そのどちらもが、反発しあいながら、必要としているということです。
 どちらか一方しか見ないというのは、ごまかしだということです。

 例えば環境問題をとれば、それに対して否を突きつけた場合、「石器時代に戻れというのか」というような議論になってしまう。いやいや、そういうのは知的怠慢であって、そうではない思考が必要だよということのように読めます。本書の流れで言えば、貨幣によって"非同期的交換"が可能になり、近代化によって贈与・全体給付(全体給付というのは原初のセーフティネットと捉えてもいいと思います)の交換社会から、等価交換・競争の合理的選択の社会(いま我々の生きている社会)に変わってきたことを、先に引用した有縁・無縁、と言った言葉で整理をしつつ、二つの概念は互いに互いを排除しながらも必要としているのであって、一方を排して終わりにしちゃダメでしょ、ということを説明しています。

「楕円も、円と同じく、一つの中心と、明確な輪郭を持つ堂々たる図形であり、円はむしろ楕円のなかのきわめて特殊な場合である」と花田は言っています。(p208)

 楕円思想に対置される真円的思考は一つの中心を巡る二項対立的なモデルでとても求心力があります。分かりやすいし、取り扱いもしやすい。人はその丸い真円の潔癖性からなかなか逃れることができない。ストイックな潔癖性。この部分は、熊代亨さんの『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』につながる話です。潔癖...。確かに清潔という概念(このコロナで渦中にある公衆衛生ですね)は近代化を進める上で国家に力を与えてきたものです。この本も「見たくないものは排除」してしまえる社会だからこその警鐘を促している本でした。

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

  • 作者:熊代 亨
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 本書(21世紀の楕円幻想論)では、近代批判として語られることの多い二項対立、つまり田舎か都会か、社会主義か資本主義か、個人主義全体主義か、有縁か無縁か、経済か全体給付か、といった二者択一の思考を真円的思考=二項対立思考とし、そもそもこれら2つの要素は誰もが(個人の中においてすら)持ち合わせているものなのだから、″折り合いをつけるもの″とする態度を示します。それこそが大人の態度ってもんでしょう、と。これは結構ストレス負荷の大きいもので、だってどっちつかずの両極の間でバランスをとりながら折り合いをつけるということは、そのモヤモヤする気持ち悪さや居心地の悪さというものを引き受けて、ぐっと地を踏みしめて止まる強度を要求されるからです。これは身体の話と繋がっている。

 最近の僕も日々メディアやSNSに触れながら、知的な体力というか、見えないものに対する思考というか、見えないものを相手にすることは本当に難しいなと思う。その難しさがワイドショーやクリックベイトを促進しているという面があるから状況はもっと難しいのだけれど。

 また、本書の初めには″原初的な負債″についてグレーバーの負債論を引きながら、債権債務関係と義務の話が出てくる。人間は世話にならないと育つことができないし、商取引の最初には自然からの贈与がある。人間にとって、この負債というのは何だろう。あまり日本人には原罪という概念や、贖罪という概念は馴染みがないものだし、僕にも馴染みがない。でも、金銭の債権債務関係だけで生きてるわけでもない(信用経済、という言葉が昔流行ったのはこの流れだろう)。いろんな人間関係の間、縁のある中で、いろんな人にいろんな負債を負いながら生活している。そういう原初的な義務からモラルが生まれた、とするバンヴェニストの論も、ニーチェと対置される形でこの本には出てきます。とても面白い。

 ニーチェは、『道徳の系譜』のなかで、人間関係の基本は、負債をめぐる債権者と債務者の関係だと考えた。この関係はあくまで、物質的、経済的なものだが、ここから「義務」や「責任」といった道徳的な観念が派生してきた。
 一方、言語学者バンヴェニストは、インドーヨーロッパ言語しを渉猟し、ニーチェとは反対の説を述べた。イラン語、ラテン語、ゴート語、ギリシア語などの言語では、「貸し付け」および「借用」、「負債」といった言葉が、より一般的な言葉である「義務」から派生してきた。「義務」が先にあった。(p34)

 最後に、この本では自己責任論についても語られているけれど、この本で語られる方法の説明は、今まで読んだどの本よりもしっくりくるものだった。

この自己責任という言葉を発している人間にとって、本来の責任という概念はほとんど頭に存在してないんです。ただ「お前が悪いんだぞ」と言っているだけです。「お前、責任取れよ」とは言っていないし、言いたくても言えないんです。とにかく「俺には関係ないからな」と言っているわけですね。(p68)

 うんうんそうだよなあ、と。この自己責任論が出てきたのは格差拡大と同時期、消費社会が浸透してお金が地縁的な社会をどんどん分離分断していった時期とリンクしていて、これって「関係を断ち切るための言葉」として機能している。この自己責任という言葉と、あらゆるものがお金で交換可能だという考えは相関していて、なぜならば「貨幣は関係を切断する機能を持つから」である。とまあ、ここでも全体給付の贈与経済と債券債務と精算によって関係が終了する貨幣経済への移行との対応が説明されている。この債券債務の等価交換モデルが強まったのは80年代以降、新自由主義が席巻して以降のことだ。
 最近の国会での首相の生活保護がある発言なんかはまさしくここに書かれている通りで、社会的に弱い立場に置かれたものでも国家が救済しないよ、という意味で捉えられてしまった。俺には関係ないからな、と責任逃れの言い訳のように聞こえてしまった。とても納得のいく説明だと感じました。
 じゃあ、この自己責任論をどうするか、みたいな話も、じゃあ国家がどんな者でも面倒を見るのか、という対置された考えの中でバランスを取っていく必要がある、というのが本書を読んだ者が思考する態度かな、と思います。じゃあ、具体的に日本の中のどういう階層の人たちがどういう主義主張に親和性があり、統計的にはどう出ているのか、というのは、橋本健二さんの『新・日本の階級社会』が詳しい。ほかにももっといろんな本があるとは思います。

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

 ちなみに、本書の副題についている「その日暮らし」というのはLiving for todayという小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学』に呼応するものなのかなと思っていて、こっちも読んでみたいと思っています(まだ読んでいない)。 じゃあどうしていこうか、というのは問いとして読者に開かれていて、読んだ人が考えて行かなければいけない。僕もちょっとそう簡単には分かりそうもない。この本が出たのは2018年の2月で、ちょうど3年前。メルカリやサブスクリプションエコノミーやシェアリングが流行り出したのがこの時期で、これらのビジネスモデルの中にどれくらい贈与論的な思考がどれくらい埋め込まれているのか興味がある(ティエン・ツォの『サブスクリプション』は読んだ)。もしかして自分が遅れているだけで、ずっと実際のビジネスの現場はこっちの考え方が主流になっているのだろうか。どうだろう。
 興味を持ってくれた方が、ここに紹介した本を少しでも手にとってもらえると嬉しいな。(買わなくても、図書館で良いと思います。なかなか人気だから借りられちゃってるんだけど)