最近思うこととか、ミュートワード設定したこととか

 少しだけピアノの前に座り練習をした。ここのところまったく練習する気にもなれず、鬱々とはしていないもののあまり張りのない生活というか、質素な生活というか、なんというかのっぺらぼうな糸の切れた凧のような、そんな生活をしていた。もちろん仕事はしているけれど、ひと段落してしまった感じがしていて、モチベーションを保つのに苦労している。

 本を何冊か読んだ。丸山眞男、善と悪の経済学、菊池成孔のエッセイ。まったく仕事とは関係ないものの、まぁ、そんなことはいいんだ。今は橋本健二さんの新書を読み出したけれども、まぁ読み進めるのがつらい。何がつらいってアンダークラスや階級の固定化の話、格差の拡大の話、自分がどの階層にいて、みたいな話が生々しく語られているからで、自分はどこ階層にいて、親はここだったんだな、とか、ああ確かに再生産されてるかも、みたいに考えてしまう。こういう話はとても身に堪える。痛み無しには読み進められない。でもそういうのが読書ってもんだし、と思う。俺もこのままじゃいかんな、がんばらんとな、と思う一方で、身動きがとれないような、固まってしまうような恐怖感と、この先どうしようか、という漠然とした不安に襲われる。なんとなくつらい。みんなつらいんだろうけど。みんな大変な思いをして働いて、ガミガミ嫌なこと言われてヒーヒー働いて、無駄だと思いながらクソだと思いながらでもやらなきゃいけないからと手を動かして働いて、でもなんなんだろうねこの状況、みたいな。ああ、でもがんばらないとな。ああ、でも星を眺めて詩を読んで音楽をして踊ってあたたかい布団でひとつの不安もなく眠りたいな。いま日本でなんの不安もなく夜を眠れる人っていったいどれくらいいるんだろうな。変な宗教にも入らず、認知を無理に(認知行動療法アドラー的な考え方で)歪めることもなく、前向きな気持ちですやすやと眠れる人ってどれくらいいるんだろうな。なんなんだろうなこの閉塞感。


 少しSNSからは距離をとっている。ネットニュースを見る時間も減らしている。色んな人が意見を言うのは別に悪いことじゃないけど、どうしても人間だから強い言葉に流されてしまうし、そういうのを見るのは気持ちがいい。二項対立の方がわかりやすい。そりゃ誰にだって「なんでこんなこと起きるのかな」と思うニュース記事というのはあるけれども、ひとつでも自分がその当事者になったことのある人なら多分分かるんじゃないかなと僕はいつも思うんだけど、物事はそんなに単純にわけられるものじゃないし、意思決定にしても外にリリースされる情報にしても、それが出てくるまでにはいくつもの案の廃案あり、どんでん返しがあり、中でぐちゃぐちゃになって担当者が投げやりになることもあり、根回し失敗してあーあ、みたいな。物事にはいくつもの面があってロジックの整合性と感情の論理があって、でも責任を取るべき人は体を張って矢面に立つ。だから基本的には分かりのいい気持ちいい言葉というものには気をつけないといけないのだけれど、悪しきインターネットではお構いなしだ。それに、ある事件に対してやんややんや言っているのを見ることには中毒性がある。「そうだそうだ」と同調したり「そういう意見がマジョリテなのね」と安堵したり「そうそう、やっぱそうだよねクスクス」みたいに「こっそり」気持ち良くなったり。そうやって"ああよかった"って安心感を得る。人間だからそういうハードを背負って生きていくしかないけども、こういう快感からは意識しないと離れられない。デジタルデトックスという言葉が使われるならこういう場所で使われるべきなんじゃないだろうか。

 えっとなんだっけ、閉塞感の話と、ネットから距離を置いてる話をした。そうそう、ようやく僕はツイッターのミュートワードを設定して、

  • コロナ
  • 新型コロナ
  • オリンピック
  • 東京五輪
  • clubhouse

をミュートした。ようやく平時っぽいいつものタイムラインになった。よかった。リツイートやニュースサイトの記事が表示されるけれど、それくらいで十分。みんな、なんとなく言いたいことが言えてないような雰囲気があるし、コロナについてもオリンピックについても、何らかの意見を言うことが即自分の政治的な立場やポジションを明らかに宣言してしまうことになるから、で、そういうのってあまりみんな好まないし、意見を言いたい放題の人と、だんまりな人とで分かれてしまっている。ように見える。違うかも知れないけど。でもやっぱり「あれ、このツイートってどこからか石が飛んでくるかな」って考えてしまうし、そういうのって全員に見える場所っていうか親しくない知人との飲み会でするような話ではないから、どうしても躊躇してしまう。かといって、アカウントを新しくして悪口や愚痴を垂れ流すようなこともしたくないし。

 でもまぁ言いたいこともある。家にいる時間が相対的に長くなると共通の話題に政治的なネタが増えてしまうのも仕方ないように思うし、こうやって僕らは僕らで社会的なつながりを確認しようとしているのかもしれない。誰かと意見が一致してそうだよね、と共感するのは気持ちがいい。それは純粋に気持ちの良いことだと思うけれど、その共感という気持ちは手放しに喜ばしく歓迎していいのかってところはよくよく考えないといけないなと思う。でも、そういう思慮深い人はどんどんプレゼンスを下げてしまうのがいまのインターネットって感じだ。

 とまあこんな感じに、少しでも生きやすく明日をいい日にしたいと思いながら過ごす毎日。早寝早起きがんばろう。