ニューノーマルなんてクソ喰らえ2020

 年末だと言うのに誰とも会っていない。家族がいるのでどんちゃかできる身分ではないし、職業柄、万が一のことがあると職場の人にも迷惑をかけることになる。必ずしも迷惑をかけることは悪いことだとは思っていないけれど、ことこのコロナに関しては仕事を増やすことになってしまうから、それは嫌だなと思う。
 この前、寝る前に少し息苦しさというか、呼吸がいつもと違う感じがして、とても不安になってしまった。ちょうど東京で感染者数が前の週を上回ってきた頃に都内の焼肉屋で友達も焼肉を2人で食べたことがあった。笑って過ごしていたけれど、もらっていたら嫌だなという不安な気持ちもあった。そのことが胸に引っかかっていた。今ではもう2週間経っているし家族にも何事もないから良かったけれど、やっぱり「もしや」と思った時に必要以上に不安になってしまうリスクは低く見積もらない方が良いと学んだ。感染したらしたで辛い思いをするし同居する家族も道連れにしてしまうけれど、感染したかもと不安な気持ちで過ごす時間もそれと同じくらいにつらいものだ。

 大変な世の中になってしまった。外出は、毎朝のランニングの40分。それ以外は大抵は家の中で過ごして本を読んだり楽器を弾いたりしている。来年で収まるだろうか。来年もこんな感じなのだろうか。ワクチンが出来たとして、それをかいくぐるようにウイルスがまた変異してしまった場合にはどうなるのだろうか。全然その辺りが見えない。多くの企業が早期退職を募る記事を見る。どうなってしまうのだろうと思う。

 もともと、私はグローバル資本主義ネオリベの考え方には馴染めなかったたちの人間だ。その中で競争をしてのし上がる生き方は嫌だなと思って今の仕事をしている。悩みはもちろんある。よく寝る前に泣くこともある。でも恵まれているのもその通りなのだろう。流動性の高い世の中に生きるように最適化することも出来なくはないのだろうけれど、私はどちらかといえばゆっくりものを考えるタイプだ。

 このウイルスはグローバル資本主義に対する意図しない刺客となった、と総括する。もともと自分が馴染めなかった考え方・世界観で動く世界で、多くの人が困窮し、不安になっている。かと言って、このグローバル資本主義が方向転換する、ということも望めないだろう。観光立国や外需に依存した経済というのも私は好きではないし、コンビニ店員が外国の人たちになってしまってもう10年弱くらい経つことにも、こんなんで良いのかな、と思う。政府はアトキンソンが好きなようで、いくつか本は読んでみたものの、やっぱり馴染めないところが多かった。もともと内田樹平川克美平田オリザも入っていただろうか、どちらかと言えばこっちの側の考え方に親和性を持って生きてきたこともあり、複雑な気持ちだ。

 21世紀に入ってからはSARSとMERSがあった。更に首都感染で描かれるような新型インフルもある。鳥インフルも。気候変動で未知のウイルスによるパンデミックが起こる確率は高まっているのだそうだ。またこのような事態が起きたとして、その度にウイルスとワクチン競争をして(これもゲノム解析ができるようになったからこそ競争できるのだが)空港を封鎖、その度に観光業にキャンペーンを張るのだろうか。インバウンドの戦略は変わらないのだろうか。

 いつも会っている友達らと久しぶりに会ってご飯を食べてお酒を飲んで「元気ー?」「元気元気」と話をしたかったなと思う。毎年東京で会っていたし、なんなら地元でも高校の友人らと会って前向きな元気を貰っていた。それが今年は叶わない。とても悲しいと思う。前向きに、という意識が皆強いのか、素直にこの状況を悲しむ声はあまりメディアからは流れてこない。一日でも早く元通りの世界に戻ってほしい。新しい生活様式だの、ニューノーマルだの、そんなものはクソくらえだ。何がニューノーマルだ、俺は対面で会って飯が食いたい。あーガヤガヤワイワイ、友達と飯が食いたいなぁ。