日記

いつものようにドトールに来てアイスコーヒーを飲む。なんだか、このコロナの中でコロナの影響をまったく受けずに仕事をしているというのも、変な感じがする。社会とつながっているようでつながってない、みたいな。幸せなことのように思えても、少し濁った気持ちが混じっている。

まあ、いいじゃないか。あくせく働かなくても困らないだけの収入が得られるのは幸せなことだ、親も年金だけだし。という気持ちと、もっとあくせく働いて人様のお役に立てる人間でなくちゃ、という気持ちの板挟みになる。突き詰めると、もっと経済を回してお金を稼げる人間でなくちゃいけない、ということになろうか。

あくせく働かないで、社会的な地位なんて別にどうでも良くて、好きなことに時間を使って生きていってもいいじゃないか、という気持ちを保つことはけっこう大変なことだ。少なくとも僕にとっては大変なことだ。あれよあれよと出世をして、それなりの地位につく友達がたくさん出てきたときに、まぁいいやという気持ちでいることができるだろうか。いや、まあいいやと思っていればいいんだけれど、それはどういうことなんだろう、と。


働かないで済むなら働かない、という声も一方でたくさん聞こえてきそうだけれど、そうじゃない世界で生きている人もたくさんいるのだろうと思う。比較してしまうのが人間だ。だからとても複雑な気持ちになる。働かなくて済むなら働かない、という人が他方でたくさんいて、例えば不労所得があったとしても働いて社会的地位を押し上げていかないと不安になる人たちがいる。受けてきた教育や、付き合っている人たちの違い、学歴の違いもあるだろうと思う。

ボロボロのくたくたの雑巾のようになるまで働くことには一種の悦楽というか、どこまでいっても自己満足感でしかないのだが、享楽があるのだろう。そういう悦楽が感じられると、社会に役立っているという実感が、疲労という形で訪れる、というか。だとすれば、長時間労働の一側面になる。

これからどういう人生にしようかと、結構毎日考えてしまう日が続いている。