差別が話題になる度に俺が考えること

 オコエ瑠偉が「これが差別だとかどうかそんなのは本当にどうでもいい話。」と切り出して、ツイッターに文章をあげていた。読みながら、ああそうだよなあ、と思った。幼少期に受けたことなんて、それがその時「差別だ」だなんて思いもしないし、その時は小さい子供ながらに自分の身体と心を守るのに必死だもんな、と思う。俺もそんなことを思い出した。

 幼稚園から、というよりももっと前から小学生の低学年の頃まで、俺は手の指がアトピーでボロボロだったから、絆創膏だのガーゼだの、いろんなものを指に巻いていた。食べ物にもアレルギーがあったから、幼稚園の頃も、みんなで食べるお菓子は食べられなかった(あまり覚えていないけれど親がそういう風に幼稚園の先生にお願いしていたと思う)。ある時みんなと一緒にカレーを食べることができてとても嬉しかったことを覚えている。あのカレーは美味かった。小学生の頃も、アトピーがひどくなった時には、給食から弁当持参に切り替えたりしていた。当然、人と違うことをしているわけだから、いろいろな目にあった。

 小学校の低学年では、いろんな場で男の子と女の子が並んで手を繋がなければいけないことがある。そういう場面では手を繋いでもらえないことがあった。「汚い」「移る」とか言われるし、席替えの席では人によっては席を離して座っていた。そんなことはザラだし数え上げたらキリがない。

 そういう時、「この子は普通に手を繋いでくれるかな」と気にしなければならなかった。嫌がった子には「いいよ手首掴んでおいて」みたいなことを言ったかもしれないし、指一本だけで繋いでいたかもしれない。当時の気持ちがどんなものだったか、あまり覚えていないけれど、多分、自分の心を守ることに必死だったと思う。その時の嫌だな、という気持ちは今では全く思い出せない。たぶん、嫌だな、悲しいな、と感じていたと思うのだけれど。泣いた記憶もほとんどない。

 膝の後ろや腕の関節の内側も荒れていたから、体育の授業で半袖短パンいなるのが嫌だった。当然、やんややんや言われたと思う。あまり思い出せないけれど。体育に関しては、ある時期を境に、体操着が膝の後ろまで隠れるものになったから、そういう後ろめたい気持ちは減ってホッとした。でも、プールの時間はやっぱり嫌だった。あとは、キャンプファイヤーみたいなお遊戯のような時間にも、手を繋いでくれない子はいた。

 そういうことは、僕にとってはもう普通のことで、こういう身体の特異性と自分は一生付き合っていくものだ、という意識で生きてきたから、ある時それが「差別だ」だなんて言われても、あまりピンとこない。それに、立場が逆だった時に果たして自分は絆創膏だらけの手を握ってお遊戯やキャンプファイヤーを踊ったかと聞かれたら、あまり自信がないから、こういうことに対してとやかく言いたいともなかなか思えない。

 今自分の周りにいてくれる人たちは、もしあの時同じクラスだったら、手を繋いでくれた人たちなんだろうな。俺にとってはそれ以上の真実はないから、それ以上のことを望む気持ちもない。この先も自分が接するひとたちが、自分がされたような気持ちにならないように接するだけで。