日記

オリンピック

 オリンピックに関しては、その延期が決まる前から冷ややかに見る人が多かった。もはや国民全体で一つのお祭りの体験を共有するということ自体が困難な時代なのだ。それを、なんとかそれらしい標語を設けてデザインをし、もう一度国威発揚と絡めて経済成長のガソリンにしよう、というのが2000年に入った以降、先進国で行われるオリンピックの内実だろう。
 オリンピックに冷ややかな視線を投げかけるのは、その恩恵に預かる事の出来ないことがわかっている人たちと、国家単位でのお祭りに「ノる」ことに白けてしまう人たち。巨大資本を動かす者たちの外部に存在する人たちが「私たちは同じ物語を共有することができない。自分たちは排除されている」という風に感じてしまうのも不思議ではない。社会から中間層が脱落してしまったのだ。
 持つ者と持たざる者の分断。1964年と同じような気運の醸成を図る取り組みはとても虚しく欺瞞的に見えてしまう。

リモートワーク

 学生時代からテキストでのコミュニケーションに慣れている世代と、そうではない世代とで働きやすさに差が出ていると感じる。メールやラインというのは、テキストになりきらない情報(文字未満の情報、あるいは情報未満の情報)をうまくテキストに表す術を訓練してきた。また、そこに無駄な情報を表さない術というのも、ビジネスメールなどでは訓練をしてきた。
 顔が見えない事態となったいま、少し「人間らしさ」の香るテキストの方が、やりとりをしている中ではコミュニケーションが取りやすい。ここは世代によってどうしても分かれてしまうところだが、ドキュメントベースのコミュニケーションの方が長けている人にとっては追い風だ。また、普段から周りへの配慮を意識しているひととそうでない人の差が顕著に現れる(些細なことだが、認識の齟齬がないことを確認するためにメールの返信では改めて言い直す、等)。案外、場を共有することで自分から情報を補わなければコミュニケーションが成り立っていなかった人、というのも認識されてくるように思う。

檸檬

 檸檬堂を初めてこの前飲んでみた。普通に美味しかった。インターネット広告のような味。