アポカリプス

在宅勤務

 いえにいるとどうしてもインターネットに触れる時間が増えて、これだけだとあまり精神的に良いとはなかなか言えないな、と。世の中全体でそういう流れになっていて、他人を責める傾向もあるしで、なんとなく自意識過剰。これまでの世界と何か違っている。些細なことで炎上してしまう。これまで以上に発信者側が「これは変な問い合わせや怒りを買ってしまうかもしれない」という防御感が先回りして、「何もしない・何も言わない」に収斂していっているような気がする。窮屈な感じ。

平田オリザ

 オリザさんへの罵詈雑言はちょっと見るに耐えられなかった。こういう時、SNSでは「政治的な発言を一切しない」という態度が一番「失うものが少ない」。でも、そういうのってどうなんだろうね、とも。マウントに回収されない発信というのは、なかなかに難しいものだ。

アポカリプス

 音楽や絵画、演劇のような芸術の想像力は、混乱や終末観も描いてきた。「なんでこんな大きな音を鳴らして不協和音を使うんだ、これが何になるのか」と思うような曲も(現代作曲家の曲なんかでは)あった。でもこういうコロナで世界が混乱してどうなるかわからない、みたいな時に精神の平静を保っていられるのは、実はこういう芸術作品で経験してきたことがうっすらと効いているんじゃないか、と思った。
 こういうのって、因果関係もわからないし証明できないし、まず気づかない。小説なんかの重層的な物語も同じような経験をさせてくれるものだけれど、「心のインフラ」とか「精神的なインフラ」としての芸術、って、構造的に気づくことができないものなのかもしれない。