日常

 起きてから5kmほど走る。いつもと同じルート、同じような人の数、少しだけ緑が深まって、川の流れは穏やかだった。猫が二匹ほど路傍に座っていた。年老いた老人が世話をしていた。自転車でゆっくりと走る人を何人か抜かして、cw-xやスポーツタイツをまとったランナーと何人かすれ違う。そこまで変わった風景では無い、ここだけ切り取れば普段の土日と変わらない光景だった。ただ、みんなマスクをしている。アメリカニューヨーク州のクオモ知事が「マスクは他者への敬意」と言っていて、良い言葉だなと思った。

 駅前を歩いた。iPhoneSE2が届いたので、simの相談をauにしに行ったが営業時間が終わっていた。その足でBICカメラにいく。人はそこまで減っていなくて、通常営業な感じだった。「あ、緩んだ空気感だ」と3月の三連休前のような空気感を感じた。もう大丈夫っしょ、っていう。こういう空気感は、肌感覚で掴むしかない。外を歩かないと分からない。

 船橋は普段に比べれば人通りは少ないかもしれないけれど、渋谷のスクランブル交差点のライブカメラに比べれば人が減っているとも思わない。パチンコ屋とスターバックスは営業していないけれど、ラーメン屋や本屋はいつも通り、電気屋もいつも通り。ラーメン屋は人がびっしりと座っているし、ドトールコーヒーも普段と同じくらいの人が入っている。ちょっと不公平だよなと思った。

 テレビやインターネットに触れて過ごす時間が増えたことで、世の中全体的にテレビやインターネット=世界になっている人が増えている。これはちょっとしたディストピアで、自分の正義で殴りたい人の影がすぐそこまで伸びている。見つかるか見つからないかは単なる運でしかない。プライバシーに関する感度も、地域によってまちまちで、東京を起点に放射線状に感度は薄まるイメージがある。

 アフターコロナの予想は面白い話題だけれど、僕は世界が一変する、なんて風には思わないし、ちょっと世界が変わるだけですぐまた元どおりの世の中に戻るんだろうと思っている。思ってたよりも変わらなかったね、なんて言いながら6月1日を迎える気がしている。