日記

 コロナの騒ぎでこの連休中は、毎日のテレビとネットから少し距離を置いている。楽器を弾いて本を読んで、少し映画を見ていられれば(あと少しのランニング)、余暇の時間は十分に満足できるし、あらゆるコンテンツは電子配信とAmazonだから、ぶっちゃけこれといって生活が変わったかと言われると、友達とのリアルな接触が減った以外に特に変わったところはなくて。twitter以後の世界ってリアル身体が必要なコミュニケーションがそもそも減っていたし「まぁ家にいるかぁ」的に思ってます。
 

ランニング中に出会う猫とソーシャルディスタンスを取るのは難しい

 一方で、フェスとかライブパフォーマンス系、サバゲーみたいな参加型のコンテンツは辛いだろうな、と。ここ数年、物体としての身体はどんどん必要なくなっていって、一方でフェスやクラブや渋谷のハロウィンもそうだけど、リアルな人間が大勢集まることでの熱狂とか興奮とか、そういう身体的共感というか集合的身体に同化する興奮、みたいな需要は高くなっていたんじゃないか、という見立てをしてる。二極化というか。僕はというと、全然家にいても楽しめてしまう。というのも、仕事がちゃんとリモートでも行えていて、という安心はもちろんあるからなんだよねと思う。

 遠い昔、なぜだか友達とクラブageHaにいったことがある。誘われて。で、「もういいや」と思ったのだった。というのは何か魅力に気が付けていないだけなような気がして、何かの楽しみ方を諦めたような気がしていい気持ちはしないんだけど、でもどうしてもそうで。身体を解放して踊って汗をかいて「はぁー楽しかった」みたいなことを言う子も友達にいるんだけど、これからそういう楽しみはどうなっていくんだろう。

 zoomは何ていうのかな、初対面の人とzoomで話したことが無いからわからないけれど、半身体みたいなものなのかな。身体の動きは見えるし声も表情もわかる、間合いもわかる。ストレスがないようで、でも落としている情報というのは確実にあるので、ちょっと疲れる。マスクをしている人のしゃべりを聞いているような感じ。口元が見えないから音だけで言葉を読み取らないといけない(人って口元の動きでも音を予測してるから)みたいなストレス。全体をまるっと感じることができない。でも、ずっと引きこもって思案をして、インターネットで自分の心地よい情報だけに触れる、というサイクルを続けているよりかは社会性のチューニングは出来るから健康には良いと思う。人間、人とのコミュニケーションが取れていないとどこかしらか崩れていってしまう。気をつけないと。