パブリコフスキ監督作品cold war(2018 film)レビュー

 観なければと思っていたパブリコフスキのcold warをようやく観た。前作イーダがあまりに良かったので心して見たのだが、期待は裏切られなかった。パブリコフスキの撮る白黒映画は観る者にそれが白黒映画であることを感じさせない。しかしながら、ふと思い返す時に包まれているイメージは確かにモノトーンの静かな絵なのだ。構図の巧みさも影響しているだろう。今作はパッションが大いに駆動していく物語であるが、その物語内容に関わらず静寂や静謐に包まれた印象を残す。
 この白黒の演出についてパブリコフスキはこう語っている。

Shooting in black-and-white resulted in a more vibrant look, Mr. Pawlikowski says. “If you went for colors of Poland at that time, it would be basically murky and gray.”

 当時のポーランドの色を出せと言われれば、それはどんよりとした薄曇り色だろう、と。123年間に渡って国家が消滅した歴史を持つポーランド人の、どことなしに身寄りのない感じというのは想像に難くない。果たして現代のポーランドを生きる人々も同じ感覚を持ち合わせているのだろうか。

どのような映画なのか

 cold warと銘打たれているとおり、この映画は冷戦下の物語である。New Yorkerやその他英米紙によるインタビューによるとパブリコフスキの両親の物語が下敷きになっていると語っている。「どことなく母に似ているし、どことなく父に似ている。友人にも似ている」と。
 作品自体は古典的な恋愛物語である。そこに冷戦下の東西対立という政治的状況が加わる。ロミオとジュリエットであれば身分格差が果たしていた壁の役割が、この作品では鉄のカーテンというわけだ。結末も愛の成就が死をもってしか為されないというliebestod、ロミオとジュリエットと同様である。政治的状況(運命と呼んで良いだろうか?)と個人が抱える内面のトラブルに翻弄されながら愛を完遂する点をもって、この映画は純粋な恋愛映画であり、古典的な手法に倣った作品であると言える。
 合唱団が歌う歌詞に未来を暗示させ、外界の政治的混乱と登場人物の内面的葛藤をシンクロさせる手法はギリシア悲劇を思わせる手法である。
 登場人物の内面が、政治的な混乱とリンクし、区別がつかなくなる。

Pawlikowski’s films often weave historical conflict into the characters’ lives and relationships, to the point that personal and political turmoil can become indistinguishable from each other.

 ズーラの内面的葛藤はそのまま当時の政治的混乱そのものとリンクしている。

物語

1949年に始まる物語は、1966年で終わる。88分という限りなく短い時間の中で15年あまりを描き切るために無駄なカットは一つもない。この間、ヴィクトルとズーラは大陸間を移動していく。最初はポーランドの田舎から、東欧へ。東ベルリンから亡命し西側で一緒になることを一度は約束するものの、ズーラは約束の時間にやってこない。

ヴィクトルだけ西ベルリン、パリへ。ズーラはイタリア人と結婚をしてパリへ。そこで束の間の邂逅となる。

幸せになれるかのように思えた2人だが、溝はだんだんと大きくなる。パリでそれなりの地位を築いていたヴィクトルはズーラを歌手として売り出そうとするが、なかなか上手くいかない。悪態をつくような形でズーラはポーランドに戻ってしまう。
 なぜズーラはここでの生活に満たされなかったのだろうか。その後、体制側の要人と子供をもうけてまでヴィクトルを救い出すほど強い愛で結ばれていたにも関わらず…。
 ヴィクトルは15年の禁固を受け入れてポーランドへ再入国する。ズーラは体制側の要人との子を生み、ヴィクトルを解放する。ヴィクトルはピアニストの命である指を失う。

 解放された2人はもうへとへとだ。ようやく一緒になれたというのに。へとへとになり、2人で崩れ落ちてようやく2人は一緒になれた。その描写はまるで壁が崩れ落ちるかのようだ。
 時代はまだ冷戦の最中、ポーランドの田舎で挙式を上げ一緒になり、2人は永遠を手に入れる…。

語らない理由

パブリコフスキの特徴である無駄を排したカット間の欠落。これについてパブリコフスキは「理由は1つとは限らない」と語る。

“I realized it could be told elliptically, not like these biopic-y things where you go from A to B to C, where there’s always cause and effect,” he says. “That makes films untrue because there’s never a single cause.”

 前作のイーダもそうであったが、物語の進行はカットの大幅な欠落によってもたらされる。視聴者は無数の可能性の中に放り出され、理由を与えてはもらえない。ある一つの因果関係に規定するようなカットの挿入を避け、視聴者に解釈の可能性を委ねている。

様々な対立

 この物語を成立させているのはさまざまなconflictである。西側と東側の政治的な対立、文化の差異。一つの歌が繰り返しズーラによって歌われるが、一つ一つの場面でその歌われ方は変容していく。ポーランドの田舎の素朴な歌、スターリニズムに取り込まれた歌、西側のパリでの歌、、。
 西側のパリと東側のワルシャワ。ヴィクトルとズーラは必ずしも西側の人物、東側の人物という風に描かれている訳ではないが、そう見ることも可能だろうと思う。その中で、ズーラは良くも悪くも最後まで東側の人間だったと思う。幾つもの顔を纏い生き抜くけれども、その奥底にはpolishの魂のようなものがあったのではないか。

 印象的なシーンがある。パリでズーラを歌手として売り出そうとヴィクトルがパーティに連れてくる場面だ。ズーラは自らが歌う歌詞に納得がいってない。詩人に対してやっかみを言い、酒を飲み、机の上に乗ってくるくると踊る。彼女自身とても混乱している。発散しきれないエネルギーが彼女のうちにはある。それが何かは、この映画の中では描き切れていないものの、一番重要な問いであるように思う。なぜなら、彼女の行動は、彼女自身から見ても矛盾しているからだ。
 自分をコントロールし切ることが出来ないズーラは危うく魅了的な女性だ。パリで歌手として大成することなど些事で面白くもない、とでも言うかの如く、自身のレコードは道端に捨て、ポーランドへ戻ってしまうのだが。(このズーラ自信が扱い切れていない自身の内面が抱えるトラブルを、父とのトラブルに起因するトラウマのせいだと説明してしまうのは、いささか短絡的に過ぎる気がしている)

身体性

 ズーラの踊るシーンはこの映画の中でも最も美しく躍動するカットの一つだ。奔放で自由で破滅的ですらあるこの場面は、躍動する身体(それは最初の場面で教育を受けたダンスとはかなり異なる)が主体となっている。
 有限かつコントロール出来ない身体の、東側、西側のいずれでもない場所への逃走。様々な者が利用しコントロールしようと近づいて来る者からの逃走、あるいは抵抗、政治性からの自由の表現…。思い返せば、彼女は最後まで誰にも魂を売ることはなかった。

まとめ

 東西対立に翻弄されながらも愛を貫いた一つのラブストーリーであることは疑う余地はない。イデオロギーに引き裂かれつつも狡猾に生き抜くズーラを通して、またピアニストの命でもある指を失ってまでも愛を選んだヴィクトルのそれもまた愛を高貴なものとして描くことに成功している。
 一方、この恋愛を可能にしたのは紛れもなく冷戦という政治状況である。彼ら二人は国境や壁、イデオロギーと言った障壁がある限りにおいて愛し合えた。強く愛し合う者たちはしばしば互いの距離を誤り上手く愛し合うことが出来ない、と言ったような一般論に回収されるようなものでは決してない。壁こそが愛を可能にしていた。(事実、2人のパリでの生活は上手くいっていたとは言い難く、ズーラはポーランドに戻ってしまった。この点、ニューヨークタイムズ紙のレビューは単純化し過ぎている。)
 これは冷戦下において生きた両親たちの時代を思い返し「一種のノスタルジーを感じる」と語るパブリコフスキによる、大きなイデオロギーによる対立が消滅した現代から見た郷愁の表現なのだろうか。このような恋愛は成立しなくなってしまった、という。次作では現代の恋愛・現代のポーランドに寄せた作品が見てみたい。(次作に期待)。
 また、ズーラのように、体制に搾取され、また体制に取り入り利用し、愛のためにイタリア人と結婚し体制の要人との子を産む…そうした徹底したリアリスティックな生き方を、″ポーランドなるもの″とどのように結びつけたら良いだろうか、という問いもあるが、こちらは前作イーダとの比較から語る方が良いだろうか。
 いずれにせよ、素晴らしい映画だったので、多くの人に観てもらいたいと思う。これをハッピーエンドと取るか、バッドエンドと取るかは、現代では票が割れるのではないだろうか。

COLD WAR あの歌、2つの心(字幕版)

COLD WAR あの歌、2つの心(字幕版)

  • 発売日: 2019/12/02
  • メディア: Prime Video