essay

切実な

切実である問い。3年前になろうか。まだ3年は経たないが、その時の私は大きく揺り動かされた。そこで取るべき手段はいくつかあったと思うが、私はまたピアノを弾くということを選択したのだった。切実なことだった。生き延びるために何かをしなければならなかった。

思えば、一つ一つ、切実な問いに答える形で歩んできただろう。大きな選択の一つ一つ、節目で選んだ選択の一つ一つは、のっぴきならない状態でなされたものだ。それが良い悪いではない。一つ一つ、生き延びるために選択をしてきた。また選択を迫られるだろう。それで良い気がする。

音楽

音楽は無ければならないものだろうか?一般的な問いではなく、私自身にとって。なかったらなかったで、生き延びれるだろうか。なぜか分からないが、高校の頃は生き延びることが出来なかった。自己イメージと重なっているからだったと思う。いまいちど、その場所に立ち返って考えてみよう。楽器が弾ける、ということが、どのように自己に作用しているのか。

無題

16,17歳、とても大変な思いをしたのだけれど、その時に感じた大変さは、とても身体に質感を伴って残っていて、確かなものだ。要するに楽器が上手くならないという、言葉で表すと凡庸な悩みなのだけれど、私にとっては切実なものだった。頭が足りていないこともあり、遠回りをした。どうやら、自分にとって音楽ができるという自己イメージは思っている以上に切実なものだということが分かった。なんだかんだ、その頃の延長で今まで生きてきている。立ち戻るとすれば、その頃に一度戻ることが一番素直な考えができるように思う。

切実な

その時々の、切実な問いを生きる