無題

無題

平成の終わり。新たな元号を共に迎えられなかった者のことを思う。友人たちに感謝しよう。

無題

幸せはどんなものであれ似たような形を取るが、不幸は云々、というトルストイだったか、言葉があるけれど。あれは上手な音楽と下手な音楽にも言えそうだ。

無題

オーケストラに対する、あるいはアンサンブルに対する熱意が失われつつあることについて。コミュニケーションに対するコストだろうか、とふと思った。もちろんそれだけではないが。実現したいという音楽について、他者を説得した上で、あるいは議論した上でなされる音楽。一人できまま、というのは独善的かオナニーか。そういう議論もあるにはあるが。もう少し、探らないと。
熱狂、興奮、承認、音楽の質。

無題

3月末の演奏会は、また同じようにやれと言われても出来ないだろうな。だが、もう来年の3月もどんどんと近づいてくる。部屋の防音については、少なくとも5月中には解決しなければ。100万でユニットを購入しなくとも、5万円で作れるなら断然そっちの方がいい。

無題

熱情の2楽章。ただただ和声でしかない。

無題

ピアノばかり弾いていては、という気持ちも顔を出す。特に、こんなに長い連休中にあっては。この先々のことを考える。歳はとるし、親は老いるし、体力は落ちていく。

決断することにはコストがかかる。とてつもなく大きなコストだ。仕事、恋愛、お金。自由に生きられるということが必ずしも心身を健康にするかと言われればそんなこともない。日々決断しなければならないストレスは、どう考えても身体には負担。

ニーチェ

長いものに巻かれる生き方というのは、ニーチェ的には畜群だ。普通から外れると批判される。どう頑張ったって、そんなつまらない生き方は出来ないのだから、諦めよう、ほんとうに。なんとかかんとか、今はまだその型枠の中に入ろうともがきつついる。普通がいい。
面倒くさい享楽を生きる。……防音をDIYするんだ。他人を羨ましいと思いながら生きるつもりはないのだから。