休み

座れる場所

 せっかくの休みなので、午前中にランを済ませて、ベッドで横になりながら本を読んで、移動しようと外に出たけれど、1時間くらい歩いても喫煙のできるお店が見つからなかった。別に喫煙でなくてもいいのだが、ちょっと腰掛けるようなベンチは既にホームレス対策で仕切られているし、変なアートみたいな居心地の悪いベンチに様変わりしており、街に出ている人々はそれぞれに路上に座ったり、ちょっとした場所に用途外の仕方で座っていた。
 昔ながらの純喫茶が家の近くにあるが明日まで休みで、近所のドトールはいつも人でいっぱいだ。コロナ禍でまだまだ密集した場所に不安を覚える人たちは人との距離を取りたいと思ってそれまでであれば過ごしていたであろう場所で過ごさず、街中の広い場所に出ている。しかし、そういう人たちに対して街中でおもむろに過ごせるキャパが不足しており、街として受け止めきれていないように思う。どこの街でも同じようなことが起きているのではないだろうか。

広げてまとめる

 録音を聴いてみないとどういう演奏をしていたのかあまり記憶にないのだけれど、かなり技術的には無理をしたとは思う。そんなことを言えば、昨年のバラ1も随分と無茶をした選曲だったけれど、もう子供のときのように何もしなくても弾けるようになるわけでもないので、自分で負荷をかけてテクニカルな部分は広げていかないといけない。
 無茶をして広げて、それを古典で身体技法の文法に落とし込む、そういうイメージがある。だから両方必要なのだ。次はシューベルトのさすらい人かな。