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マッチングアプリの考察(下書き中

好きな人と付き合っているはずなのに、「この人ではないのでは?」と思う、というのは珍しいことではない。「もっといい人がいるんじゃないか」と思うことは不思議なことではない。そして、今の時代はその「もっといい人」の要件を細分化し、条件としてあてはめればそれに合致する相手と出会える仕組みがある。それがマッチングアプリである。

 

マッチングアプリというのは、原理的に人類の数だけ候補がいる。交遊関係内でのみ、交際し、結婚していた時代から、自分により適した相手と交際し、結婚できる時代へと移行しつつある………と説明したいところだ。だが、考えればわかることだが、検索できる項目というのは、数値に置き換えたり、区別可能な項目である。わかりやすいのが学歴であろう。

「こういう人であれば、こういう人であるに違いない」というある程度の相関を持った信仰……というものに支えられて愛を交わしていることになるだろうか。置き換え可能な、つまり代替可能な相手(その人は1人だが、その人の属性を持つ人は無数にいる)からその人を選ぶ選択に究極的な理由は存在しない。であれば人はどのように「この人だ」と決まるのだろうか。時間的制約(実際に会える人数は限られている)、身体的制約(女性は子供を産むことに適した年齢がある)といったところだろうか。制約下の中で、いわば制限時間内に一番良いものを見つけ出して退場を命じられる(厳密には交際や結婚は退場ではないし、再入場も可能だ)ようなものか。いずれにせよ、その人でなければならない理由というのは存在しないのだ。これを特異的なものと見てしまいがちだが、かつては見合いというものがあったのだし、同じなのかもしれない。選択肢が増えたのだ。そこで人は「このひと」を選ぶ。そこに理由はない。理由なんて必要ないものなのかもしれない。

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つまり、恋愛結婚という幻想のヴェールが剥がされたのだ。そう考える方が妥当なのかもしれない。ただ僕たちは様々な制約下の中で人を好きになりその人を世界で一番好きだと思う、だがその人は別にそう思い込んでいるだけであり実際には社会のシステムによってそう思い込むよう教育されているだけだ、と。そうであればなお、その人自身の資質だけではないところに価値が移るだろう。資産、趣味、交友関係。

 

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