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関西へ

母の納骨のため関西へ行った。1日目はずっと車を運転して和歌山へ。着いたのは夜の8時くらいで、チェックインしてから父と居酒屋に行った。父と酒を飲むことなどほとんどないからこの機会は貴重だった。幾分か父は饒舌で、仕事をしていた時のことなどをよく喋った。高速道路も2時間おきに交代して走っていたので、その間もよく喋った。仕事をしてからほとんど話しをする時間もなかったので、この数日は母が用意してくれた時間だったのだろう。父と軽く飲んだ後は和歌山で働いている友人とビールを飲んだ。デートをしてきたから気分がいい、と彼は言っていたが、ラーメン二郎インスパイア系の待ち人のマナーの悪さについても色々文句を言っていた。最後は和歌山駅をバックに自撮りして別れた。

 

翌日は泉南に向かい、途中の岬公園でおばさんを拾って墓地へ行った。岬公園は僕が小学校に上がるまでの間はよく両親が連れて行ってくれた場所で、うっすらと記憶にも残っている。だが当時は岬という漢字も読めないし、みさきこうえんという音を辛うじて覚えている、という程度のことだ。六甲牧場で羊と遊んでいたことなど、色々なことを父から聞いた。

 

納骨を済ませて京都の親戚の家に行く。京都の山科で、そこで夜まで過ごした。あまり長居したくなかったけれど、父は元来引き止められると断ることができない性格だから、結局19時までいた。三世代が同居していて、正月には餅つきもするような昔からある仲の良い家だ。僕は小学生になる前に一度会っただけだから、親戚の顔なんてほとんど覚えていなかった。母の実家には小学生の頃は毎年行っていたけれど、母もそういう付き合いは面倒だと思うようになっていたのだろう、中学に上がってからはほとんど親戚の家に顔を出すこともなくなった。

 

親戚の家は一戸建てで、休みの日だからみんなのんびりと何をするでもなく、相撲の話や普段の仕事の話をしていた。なぜこんなにのんびりとしているのだろう?と僕はかなり居心地の悪さを感じた。なにをするでもなく喋り、なにをするでもなく時間が過ぎ去って行く。結局僕はあまり会話をしなかったし、なにを話していいかもわからなかった。高校や大学、仕事のこと、オーケストラで楽器を弾いていることを少し話した程度だ。炊き込みご飯と鰹のたたきをたらふくご馳走になり、(父は糖尿病のことを気にしていたからたくさんのご飯を出されて僕は心配だった)、それから神戸のおばさんの家におばさんを送りに行った。9時くらいに着いて、おばさんの家でコーヒーを頂く。よくある手軽に購入できるタイプの分譲マンションだった。親戚の家に行って思ったことは、まとめると個人主義や自由と、それに伴って引き受ける孤独や責任といったまぁよく言われるタイプのことだった。まだここには地縁共同体らしきものが残っていて、僕はそういうものからは随分と遠いところで生きていると感じざるを得なかった。自我の成り立ちが異なってしまったのだろうか。

 

結局神戸のホテルに着いたのは夜の22時だった。翌朝、僕は1人でホテルの朝食ビュッフェを食べ(父は昨日食べ過ぎたのだ)、父の通っていた神戸の小学校や中学校(神戸三宮間にある)あたりをぐるっとまわり(僕はingressに夢中だった)、それから高速に入って、また2時間交代で運転して帰ってきた。家に着いたのは夜の10時だ。

 

母は頭も悪くない人だったから、色んなことを考えていたのだろうと思う。お金のことに関しては、働かないでも暮らせるくらいのお金を残してくれたし、音楽も習わせてくれたし(親戚の話では、3歳から習わせて「この子は筋がいい」とよく話をしていたそうだ)、親戚に関しても、色々と考えていたのだろう。

ゆくゆくは父と住もうと高槻駅直結のマンションを買ったけれど、結局は住むことは叶わなかった。親戚は全員関西にいる。

 

神戸は良いところだった。そして、僕のはとこにあたる人が、写真で見たところ僕にそっくりであった。そんなことがあるのか。

無題

食べ物はrettyがあるし、映画はfilmarksがある。ブログに書かなくても、という風になってきてしまって。紹介するならツイッターがあるし、長文はFacebookがある。ブログってなんのために書くんだろう。匿名で投げたいなら匿名ダイアリーがあるし。